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	<title>「野づら」15号・創部60周年記念誌原稿写真送付先 へのコメント</title>
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	<description>國學院大學ワンダーフォーゲル部OBOG会員のホームページです。当サイトはOBOG会員相互の親睦と、現役学生部員たちの支援を目的に運営しています。</description>
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		<title>太島 より</title>
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		<dc:creator>太島</dc:creator>
		<pubDate>Tue, 09 Sep 2014 07:25:56 +0000</pubDate>
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		<description>　國學院大學ワンダーフォーゲル部　「創部六十周年を迎えて」

創部六十周年にあたり、まずは心より祝い申し上げます。
ワンダーフォーゲル部の六十年にわたる輝かしい歴史の一コマに参加できたことを大変誇りに思います。また先輩方が築きあげた伝統を絶やすことなく引き継いでくれた後輩のみなさんにも心から感謝申し上げます。
　私が山と出会ったのは高校時代でした。友人に誘われて何となくワンダーフォーゲル部に入部しました。アウトドアブームだったこともあり、部員がもっとも多いときは上高地の河童橋に部員が端から端までズラーッと並んで写真に収まるほどでした。また顧問の先生方も山岳経験者が多かったため春秋は丹沢、奥秩父、奥多摩など落ち着いた山の雰囲気を味わい、夏は八ヶ岳や北アルプスの槍ヶ岳や剣岳などに本格的な山を存分に味わうことができました。
　山にかまけていたおかげで、一年遠回りをして國學院大學に入学しました。
入学式の翌日、登校するとテニスサークルの人から声をかけられました。チャラチャラした感じが気に入らず、「僕は体育会系に入るつもりです！」と私。
実はその人、サークルのジャケットを着ただけの少林寺拳法部員でした。飛んで火に入る夏の虫とはまさこのこと。ところが、縁とは不思議なもの。少林寺拳法部の別の二年生が、浪人時代にバイト先でお世話になった方の親友だとわかり、ワンゲルに興味があるというとわざわざワンゲルの部室に案内してくれました。
ワンゲルの部室では合宿のアルバムを眺めながら、先輩方の熱心な勧誘を受けた記憶があります。高校とは違って北海道から西表島まで日本を縦横無尽に駆けめぐる活動はとても魅力的でした。高校時代のラジウスはブスに、アタックザックはキスリングに、キャラバンシューズは山靴に、ダンロップテントは合テンにと、いかにも野暮ったい体育会系でしたが、私は不思議な心地良さを感じていました。
入部当初は二人いた同期も途中で退部してしまい、気づくと三十三期は私一人になっていました。三年の夏から執行部になり、退部者や部の年間方針をめぐって後輩と意見がぶつかったときなど、相談相手がいたらなあ…と何度も恨めしく思いました。つらかったことよりも楽しかった思い出の方が多いのですが、それでも「野づら」の同期対談企画などを目にすると、やはり一抹の寂しさを感じます。
ただ、怪我の功名とでもいうのか、同期がいなかった分、体育連合会と関東連盟の横のつながりはとても大切にしました。三年のある時期、体連幹事に憧れ学生服まで特注してアピール？しましたが、こちらは空振りに終わりました。
関東連盟では三年で役員になって東北や関西の仲間と積極的に親睦を深めました。アシの会が行われる直前の十月下旬、連盟の仲間たちと埼玉県の武州越生でキャンプを行う予定です。妻子を連れての参加は初めてで今から楽しみにしています。
そして、もう一つ、ワンダーフォーゲル部での生活が非常に役に立ったことがありました。それは二〇〇六年から二〇一〇年までの四年間を都立三宅高校の教員として伊豆諸島の三宅島での離島暮らしを満喫できたことでした。ご存じの通り、三宅島は大規模な火山噴火によって四年半ものあいだ全島民に避難指示が出され、島外での生活を強いられてきました。私が赴任したのは二〇〇五年の避難指示解除の翌年、帰島二年目にあたる二〇〇六年でしたが、まだまだあちこちに大きな噴火の爪痕が生々しく残されていました。そのうえ離島での生活はコンビニやデリバリーサービス、コーヒーショップなどとは無縁で、教員の中には週末になると船や飛行機で上京する（島では「都内に行く」ことを「上京する」とか「東京に行く」と言いました）人も多くいました。私はというと西表島や利尻島などの離島で過ごした経験が「ものがなくても何とかなる」という方に作用して島での生活になじめた気がします。島の生活では、
マイカーや教員住宅のドアに鍵をかけることもありませんでした。帰宅すると玄関に荷物がきちんと収まっているので非常に助かりました。
夏休みは夕方五時に勤務が終わると、車で島の反対側にある海岸まで行き、シュノーケリングを楽しんだ後、プカプカ波に揺られながら海に沈む夕陽を眺めるのが何よりの楽しみでした。これは時効だから言えることですが、在任中、三宅島の雄山に二回登ったことがあります。ガスマスクを装着し数百メートルの切り立った崖の近くからぽっかりと空いた火口を覗き込んだときはさすがに総毛立ったのを覚えています。

ついでに言えば、お隣の御蔵島はイルカの楽園としても知られ、私も何度かイルカと泳ぐ幸運に恵まれました。御蔵島の自然は手厚く保護され、ガイド付きのトレッキングでは小さい島とは思えないほど豊かな動植物に出会うことができます。

こんな感じで島暮らしを満喫しました。じつは妻とも三宅島が縁で結ばれました。考えてみれば、ワンゲルでの四年間がなければ三宅島での四年間もなかったかもしれず、今でも男やもめで島暮らしをダラダラ続けていたと思います。おかげさまで一昨年三月には待望の娘にも恵まれ、昨年の四月には恵比寿に転居しました。母校までは歩いて二十分。今年の四月から来年二月末まで娘の育児休業を取得し子育て奮闘中です。人生の進路に迷った時は子どもを連れて懐かしい風景を見に行っています。

ワンダーフォーゲル部は今年還暦を迎えました。私は来年、四回目の年男となります。卒業から四半世紀が経とうとしている今、あらためて國學院大學に入学してよかった、ワンダーフォーゲル部に入部して良かったなあと実感しています。
思えば人生という山を遠回りしながら、ずいぶんゆっくりと時間をかけて登ってきました。そこで得られたものは何物にも代えがたい宝物です。今は何合目なのかわかりませんが、これからもゆったりのんびり家族との山登りを楽しんでいきたいと思います。

最後に、今年七月に逝去された八期ＯＢ初田茂樹先輩のご冥福を心よりお祈り申し上げます。ＯＢと聞いただけで足がすくんだ現役時代、初田先輩だけはいつでもニコニコと接してくださいました。もうあの笑顔に二度とお目にかかれないのかと思うと本当に残念でなりません。どうか安らかにお眠りください。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>　國學院大學ワンダーフォーゲル部　「創部六十周年を迎えて」</p>
<p>創部六十周年にあたり、まずは心より祝い申し上げます。<br />
ワンダーフォーゲル部の六十年にわたる輝かしい歴史の一コマに参加できたことを大変誇りに思います。また先輩方が築きあげた伝統を絶やすことなく引き継いでくれた後輩のみなさんにも心から感謝申し上げます。<br />
　私が山と出会ったのは高校時代でした。友人に誘われて何となくワンダーフォーゲル部に入部しました。アウトドアブームだったこともあり、部員がもっとも多いときは上高地の河童橋に部員が端から端までズラーッと並んで写真に収まるほどでした。また顧問の先生方も山岳経験者が多かったため春秋は丹沢、奥秩父、奥多摩など落ち着いた山の雰囲気を味わい、夏は八ヶ岳や北アルプスの槍ヶ岳や剣岳などに本格的な山を存分に味わうことができました。<br />
　山にかまけていたおかげで、一年遠回りをして國學院大學に入学しました。<br />
入学式の翌日、登校するとテニスサークルの人から声をかけられました。チャラチャラした感じが気に入らず、「僕は体育会系に入るつもりです！」と私。<br />
実はその人、サークルのジャケットを着ただけの少林寺拳法部員でした。飛んで火に入る夏の虫とはまさこのこと。ところが、縁とは不思議なもの。少林寺拳法部の別の二年生が、浪人時代にバイト先でお世話になった方の親友だとわかり、ワンゲルに興味があるというとわざわざワンゲルの部室に案内してくれました。<br />
ワンゲルの部室では合宿のアルバムを眺めながら、先輩方の熱心な勧誘を受けた記憶があります。高校とは違って北海道から西表島まで日本を縦横無尽に駆けめぐる活動はとても魅力的でした。高校時代のラジウスはブスに、アタックザックはキスリングに、キャラバンシューズは山靴に、ダンロップテントは合テンにと、いかにも野暮ったい体育会系でしたが、私は不思議な心地良さを感じていました。<br />
入部当初は二人いた同期も途中で退部してしまい、気づくと三十三期は私一人になっていました。三年の夏から執行部になり、退部者や部の年間方針をめぐって後輩と意見がぶつかったときなど、相談相手がいたらなあ…と何度も恨めしく思いました。つらかったことよりも楽しかった思い出の方が多いのですが、それでも「野づら」の同期対談企画などを目にすると、やはり一抹の寂しさを感じます。<br />
ただ、怪我の功名とでもいうのか、同期がいなかった分、体育連合会と関東連盟の横のつながりはとても大切にしました。三年のある時期、体連幹事に憧れ学生服まで特注してアピール？しましたが、こちらは空振りに終わりました。<br />
関東連盟では三年で役員になって東北や関西の仲間と積極的に親睦を深めました。アシの会が行われる直前の十月下旬、連盟の仲間たちと埼玉県の武州越生でキャンプを行う予定です。妻子を連れての参加は初めてで今から楽しみにしています。<br />
そして、もう一つ、ワンダーフォーゲル部での生活が非常に役に立ったことがありました。それは二〇〇六年から二〇一〇年までの四年間を都立三宅高校の教員として伊豆諸島の三宅島での離島暮らしを満喫できたことでした。ご存じの通り、三宅島は大規模な火山噴火によって四年半ものあいだ全島民に避難指示が出され、島外での生活を強いられてきました。私が赴任したのは二〇〇五年の避難指示解除の翌年、帰島二年目にあたる二〇〇六年でしたが、まだまだあちこちに大きな噴火の爪痕が生々しく残されていました。そのうえ離島での生活はコンビニやデリバリーサービス、コーヒーショップなどとは無縁で、教員の中には週末になると船や飛行機で上京する（島では「都内に行く」ことを「上京する」とか「東京に行く」と言いました）人も多くいました。私はというと西表島や利尻島などの離島で過ごした経験が「ものがなくても何とかなる」という方に作用して島での生活になじめた気がします。島の生活では、<br />
マイカーや教員住宅のドアに鍵をかけることもありませんでした。帰宅すると玄関に荷物がきちんと収まっているので非常に助かりました。<br />
夏休みは夕方五時に勤務が終わると、車で島の反対側にある海岸まで行き、シュノーケリングを楽しんだ後、プカプカ波に揺られながら海に沈む夕陽を眺めるのが何よりの楽しみでした。これは時効だから言えることですが、在任中、三宅島の雄山に二回登ったことがあります。ガスマスクを装着し数百メートルの切り立った崖の近くからぽっかりと空いた火口を覗き込んだときはさすがに総毛立ったのを覚えています。</p>
<p>ついでに言えば、お隣の御蔵島はイルカの楽園としても知られ、私も何度かイルカと泳ぐ幸運に恵まれました。御蔵島の自然は手厚く保護され、ガイド付きのトレッキングでは小さい島とは思えないほど豊かな動植物に出会うことができます。</p>
<p>こんな感じで島暮らしを満喫しました。じつは妻とも三宅島が縁で結ばれました。考えてみれば、ワンゲルでの四年間がなければ三宅島での四年間もなかったかもしれず、今でも男やもめで島暮らしをダラダラ続けていたと思います。おかげさまで一昨年三月には待望の娘にも恵まれ、昨年の四月には恵比寿に転居しました。母校までは歩いて二十分。今年の四月から来年二月末まで娘の育児休業を取得し子育て奮闘中です。人生の進路に迷った時は子どもを連れて懐かしい風景を見に行っています。</p>
<p>ワンダーフォーゲル部は今年還暦を迎えました。私は来年、四回目の年男となります。卒業から四半世紀が経とうとしている今、あらためて國學院大學に入学してよかった、ワンダーフォーゲル部に入部して良かったなあと実感しています。<br />
思えば人生という山を遠回りしながら、ずいぶんゆっくりと時間をかけて登ってきました。そこで得られたものは何物にも代えがたい宝物です。今は何合目なのかわかりませんが、これからもゆったりのんびり家族との山登りを楽しんでいきたいと思います。</p>
<p>最後に、今年七月に逝去された八期ＯＢ初田茂樹先輩のご冥福を心よりお祈り申し上げます。ＯＢと聞いただけで足がすくんだ現役時代、初田先輩だけはいつでもニコニコと接してくださいました。もうあの笑顔に二度とお目にかかれないのかと思うと本当に残念でなりません。どうか安らかにお眠りください。</p>
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